勉強のアドバイス(歴史編)
2023/08/05
はい。中田です。
夏期講習会進行中です。予想通りというか何というか、やはり今週水曜のブログ更新へ出来ませんでした。申し訳ありません。でも慧文塾はこの茹るような暑さの中でも通常通り開講中です。生徒の皆さんもこれを過ぎればお盆休みになりますし、まだ涼しい朝のうちから出来ることに着手して早めに学校の宿題を終わらせておきたいところですね。
さて。講習会前から始めている勉強のアドバイス。今回は歴史について話してみようと思います。ではいきましょう。
【年号を覚えるということ】
いきなりですが、最近は……というより、もうずいぶん前から、埼玉県に限らず日本中ほぼ全ての県で入試に年号問題が出ることは稀になりました。流石にすべての私立高校の入試問題まで網羅しているわけではないので「全く出なくなった」とまでは言えないのですが、本当に見なくなりましたね。年号に関連する問題としては、古い順に並べる問題に完全に取って代わられた印象です。
だからでしょうか。学校でも年号を教えることって減りましたね。
……それはどうかと思うなあ。
確かに、受験生でも事件や出来事ひとつひとつに対して年号を全て覚えている、なんて非効率な勉強の仕方をしている子は現代ではまず居ませんし、いくら暗記が主流だった時代の人でもそれをやり遂げた人というのはほとんどいなかったと思います。しかし、だからといって年号を覚えないで歴史を学ぶのはそれはそれで非効率なのではないかと私は考えます。
例えば。藤原氏の摂関政治っていつ頃の話なんでしょう?と言われて、「○○年!」と答えられる必要はないんですが、「だいたい○○年ぐらい?」と答えられるかどうかでイメージ力の有無には関係してくると思うのですよ。
①藤原氏は平安時代の人。
②藤原氏の全盛期は平安時代の中期。
③平安時代の前期の有名人は桓武天皇で、その死後に藤原氏は台頭してきた。
どれも間違いではないのですが①よりは②や③の方がより具体的で、その時代について関連性をイメージしやすい説明になっています。このように自分の知識や理解を用いてより具体的なイメージをするためには、あながち年号というのも悪くないのです。
平安時代を例にとってみると
・始まりは平安京への遷都……794年
・終わりは鎌倉幕府の成立……諸説ある。1185年か1192年と言われる。
→1192-794=398
ということは、平安時代って『だいたい』400年くらいあったんですね。
で、雑に3等分すると400÷3=133.33……ですから、
平安の中期って雑に930年からくらいなんじゃね?と考えます。
さらに藤原氏の全盛期となると。平安中期の中でもさらにの真ん中くらいだから、133.3の約半分、65くらい足してみましょうか。
930+65=995。藤原道長ってこのくらいの人じゃね?というイメージになります。
「いや、ンな簡単な話じゃなかろう」と思いきや。藤原道長はドンピシャでこの時期の人物です。ではさらに白河上皇の院政も見てみましょうか。院政とは藤原氏の摂関政治を終わらせるきっかけになった、平安時代後期の出来事ですね。最初にやったのは後三条天皇ですが、中学生の学習では白河上皇が有名です。
ということは平安時代後半なわけで、133.33ごとに区切られていると考えるなら
794+266=1060年より少しあとくらいと考えられます。
答えの白川上皇の院政は1086年。26年違いですが、まあこの程度は誤差ですかね。
どうでしょう。慣れるまではなんだか難しそうに思える考え方ですが、基準になる年号と事柄を組み合わせると、『だいたい』でも人物や事件などの事柄を理解しやすくなったりします。テストには出ないからと完全に切り捨てて考えず、上手く使いこなせるようにしてみると、案外高校生になってから役立つシーンもあるかもしれませんよ。
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