説明力を伸ばしてあげるためには説明から逃げてはいけない
2022/10/29
はい。中田です。
前回国語力の話をしたので、今回は自分の伝えたいことを相手に正しく伝えること。すなわち「説明」についての話をしていこうかと。国語においては「言葉の知識」や「理解」と並んで大事なことですね。少し実体験による重い話等も含まれますが、(いつもそれほどこのブログを見ている人も居ないようですし(笑)今日ばかりはいいでしょう、ということで。だから今回はタグもナシなのだ)……それではいってみましょう。
さて。突然ですが皆さんは、小学校低学年や幼稚園生のくらいの子が学校から帰ってきた際に「ねえねえ、お母さん。聞いて聞いて!」と言ってきた、もしくは言ってくるのを見たことはありませんか?実のところ私はけっこう年の離れた従兄弟がいまして、私が高校生だった頃に従兄弟は幼稚園児で。毎日のようにそういう「今日の報告」がありました。
しかし……これがなんともよくワカラナイ。
いや、もちろん本人は大まじめで今日あったことを報告してはいるのですが、
「大きいの。すごい大きかったの!」
「それが、ガーンとして!タケシ君が騒いで泣いちゃったの!」
「だからみんな笑ってたんだよ!」
……。
タケシ君泣いちゃったの?
「ううん。泣いちゃったのはハルカちゃんだよ」
……登場人物、誰やねん。何が大きかってん。何がどうなってん。
と、毎日の報告がだいたいこんな感じでした。先ほども言った通り、本人は大まじめですし、伝えたいという熱量は人一倍あるのですが、幼稚園生の説明では話の半分くらいが意味不明な内容になってしまっていました。
今ならば前述の報告も、それが「タケシ君が、騒いで泣いちゃった」のではなく「タケシ君が騒いで、(ハルカちゃんが)泣いちゃった」という意味なのだなと落ち着いて考えられますが、
なにせ当時の私も高校生でしたから、いつしか従兄弟の報告を受けるのがめんどくさくなってしまいました。すると……
従兄弟は自分がどんなに今日起きたことを伝えようとしても伝わっていないことに気づいて、
段々と説明することを諦めていくようになりました。言っても聞いてくれない、伝わらない。それなら最初から話さなくていいや、というわけです。
その結果はわりと悲惨なものでした。小学校5年生の時、あることがきっかけで『どうしても説明をしなければいけない機会が生じた際』に、従兄弟が大人たちの前で頑張ってした説明は完全に幼稚園児のする説明のそれだったのです。当時大学生になり教育課程を学んでいた私はその時に初めて「子供はほっといたら勝手に成長するものではない」ということを身をもって実感させられました。
その日以降、私は従兄弟との接点を増やしていきつつ「ゆっくりでいいから説明してごらん」「いつ・どこで・だれが・どうしたの?」「なぜそうしたの?」「その時にどう思った?」「今の説明は日本語になっていないよ」を多用してくる、おそらく従兄弟にしてみると大変にメンドクサイ人になっていくのですが、そのかわりに、従兄弟はみるみるうちに説明する力を伸ばしていったのでした。……当然ですね。ちゃんと正しい説明をしないと何度でも何度でも説明を求めてくる人間が身近にいたというのは少し申し訳なかった気もしますが。
ともあれ、この件により私は説明力を伸ばすためには子どもたちに「ちゃんと説明をさせる」「説明を誤ったら間違いをその場で即座に正す」という2つのことが不可欠なんじゃないかと考えています。そして何よりもまず絶対にメンドクサイと考えてはいけないと思っています。子どもたちは拙いですが大まじめに伝えたがっているのですから、こちらも真剣に応じるのが務めというものです。
……これを言うと自分の老いというかオッサン化を感じてしまわずにはいられず、個人的にはあまり言いたくはないのですが。あるいはそれが私がオッサン化したことによるものでただの杞憂であるのならいいのですが。最近生徒たちと接していて、私が塾講師になった約15年前の生徒達と比べた時に、国語力の支柱である「理解力」と「説明力」の減衰を強く感じます。
社会における様々なもののスピードが速くなってきている現代社会ですが。その中にあってもどうか絶対にメンドクサイだけは一般化していませんように。
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